ブログ開始後本当に何でもない毎日のことを綴ってきたが、少しずつ自分のことを紹介していきたいと思う。
今回は軽く今までの生い立ち的なことを書いてみる。誰が興味あんねんと思うが、もしこのブログを呼んでくださる方がいらっしゃるのであればどんな奴が書いとんねんということを知っておいてもらいたいのだ。
この想いを抱いたのには最近のある出来事が影響している。信頼して飲んでいた青汁がただの脱税青汁で社長がかなりやばい奴だったことを知った時、とても悲しかったからだ。これと同じように後からこんな奴のブログ読んどったんか、とか思われたくなーい。ということで暇だったら読んでください。
1.幼少期
兵庫県の田舎でも都会でもないまちに誕生。3歳ごろまでは女の子のような超絶可愛らしいルックスだったのだが、幼稚園入園とともにおデブ業界にも仲間入り。ものすごい加速度で巨大化が進行し、気づいた頃にも学年の四天王の一角を担っていた。
しかし給食は大嫌いで4歳にしてはじめての仮病を使う。無事幼稚園を欠席したのだがその日は幼稚園に隣接する小学校に通う兄の運動会の日。父母に連れられ訪れた運動会を楽しんでいたら、幼稚園の子たちが見学に来て鉢合わせる。先生にも「あれ?大丈夫なの?」と尋ねられ気まずいという感情を覚える。
2.小学生時代
1、2年生のうちは恥ずかしがり屋でおとなしいキャラだったが3年生の時の仮装パーティで皆がキャラクターものなどに扮する中、工事現場のおっさんを披露し、バズる。そこからが私の人生の絶頂期で高学年になると応援団長をやったり、その後も出し物的なことがある際にはひたすら爆笑をかっさらっていった。先生からも友達からも友達の親からも信頼されるカリスマ的存在だった。
さらには友達と結成したアポロ隊のリーダーでもあり、集合時には毎回自腹を切ってアポロチョコを差し入れる太っ腹ぶりを発揮。当時は今とは真逆でみんなに優しいとてもアツイ男だった。
とはいってもやはり給食嫌いは克服できず、どうしても嫌な小おかずをいけないことだとわかっていながら床に投げたら前に座る女子の足の甲にのるいう重大事件を起こした。とても反省している。レディの足に野菜の炊いたんをのせるなど言語道断である。
3.中学生時代
給食の呪縛から逃れるため、給食がない私立の中学に進学。給食を食わない代わりに財を食いつぶした。
小学生時代の名残から学級委員長なども進んでやったが、あまりしゃしゃり出ると叩かれることを素早く察知し、身を潜めた。
サッカー部に入部したのだがサッカー部にしてはデブいということで先輩ややんちゃ風の同級生にいびられ、部活にいくのが嫌になる。が真面目は真面目なので3年間は続けようと思い、思考回路がどうなってたかよくわからないが行って見学する日々を長く過ごす。
学校では友達も多く、1人でいるようなことはなかったが、放課後や休日に遊ぶような友達は少なく、休日になると親とパン屋巡りを開始。このころから徐々に女子力が高まり始める。
4.高校時代
高校時代はサッカー部から軽音楽部に路線を変更し、楽しく過ごした。文化祭などのパフォーマンスでアイツは普段はおとなしいが内に秘めたパンクが半端ないから注意しろという噂が流れる。本当はただの真面目少年で国公立を目指し受験勉強に励むが第一志望は受からず。私立は受かったのだが何だかなぁと思い、夢見ていた芸人の道に進もうと一瞬NSC入学が頭をよぎる。が、チキンなので親にもそんなことは言えず、結局大学へ。私立、しかも理系。親の断末魔の叫びがきこえた。
5.大学時代
中高と男子校で過ごしたため女子への免疫が皆無であり、また、もともとの人見知りな性格もあり、コンパや親睦会みたいなものに参加することも苦手で、学部では友達が2人くらいしかできず孤立。最初に仲良くならないと仲良くなるタイミングがないので、4回生になりゼミが同じで深く関わるまでは感じの悪いクソ野郎というレッテルを貼られ続ける。
一方、サークルは子供のためのキャンプを開催するボランティアサークルに入り、1回生のうちはなかなか馴染めなかったものの、キャンプファイヤーなどでスタンツ力を発揮し、徐々にあいつ実はおもろいのではという雰囲気が染み渡っていった。3回生になる頃にはサークルの面白い人ランキングで第1位に輝くまでに至った。
キャンプでギター弾き語りなどをして女子にモテ、彼女もできた。小学生時代に次いで第2の黄金期と呼んで良いだろう。
6.社会人1、2年目
やりたいことがなかなか思いつかず、みんなが就活に奔走している中私は面接を一度も受けずにいた。やりたいと思うことは到底食べて行けそうにないものばかり。キャンプのインストラクターやカフェ、そしてここでも芸人になりたいという思いが頭をもたげてくる。最終的には全てを見なかったことにして安定という側面だけを見て選んだ職に奇跡的にすんなり受かってしまい、ズルズルと今に至る。
面接が良かったようでやけに気に入られ、できる奴が行くという部署にいきなり配属されたが、期待はずれな仕事しかできず、自分でもどんどん落ち込んでいった。大学時代からの彼女にも突如フラれ、1人瀬戸内海の島旅に出て以降ソロキャンプにハマる。
その後大学時代のサークルで一緒だったその頃からずっと気になっていた現妻から遊びに行こうという誘いが突然きて会うたびに必死で次の約束を取り付けた。やっとの思いで付き合った3ヶ月後、鳥取に異動が決まり、京都と鳥取の遠距離恋愛となる。
7.社会人3〜5年目
鳥取での一人暮らし。配属された課は粘着質な課長と出来がたまらなく悪いどこからもお荷物扱いされている40代後半のおじさん、それからバイトの女の子。事務所全体としても野球が文化のような風潮があり、そういうことに参加することが大の苦手な私はとにかく馴染めなくて辛い日々を過ごした。
1995年製の愛車ジムニーに鞭打ってほぼ毎週金夜から京都に向かう。約4時間半の道のり。会いたくて震えていたのであまりしんどいとは思わなかった。
そんな生活が続いた2年目の10月に結婚。別居での結婚生活がスタートした。のも束の間、眠れないことや無気力な日が続き、電車に乗ると気分が悪くなったり。うつ病との診断。式を挙げてから約1ヶ月後のことである。仕事を休職し、妻の住む京都の家に転がり込む。そのまま約半年休職し、復帰、そこから1年間別居生活を経て、また異動となり今に至る。
つまり自分のことを一言で称すと「あかんたれ」なのである。小心者で嫌なことから逃げてしまう、しかし根が真面目なので逃げてしまったことに情けなさを感じる、どうせ自分は何もできないダメ人間だと自虐する、実際にダメになっていく、辛い、精神を病む。そんな負の連鎖が続く。
周りから見れば順風満帆に見えるけど、自分としては全く納得いっていないというギャップもしんどい。
一応今は落ち着いており、また発症しないとも限らないが一応克服した。
そういうことに悩んでいる人のためにブログを書くなどとおこがましいことは考えていないが、うっつーだった私も全てに納得がいっているわけではないがなんだかんだ幸せに生きているということを感じ取ってもらい、ちょっとでも安心してもらえたらなと思ったりはしている今日この頃です。